湖東焼
湖東焼と井伊大老
近江の地は古来より交通の要地として重要視された。天下分け目の「関ヶ原の合戦」で勝利した徳川家康は、慶長六年二月徳川四天王の一人、井伊直政に彦根十六万石を与えた。その後大阪夏、冬の陣の功績により加増を受け三十六万石を拝し譜代筆頭大名として西国の押さ都の守護として明治維新まで二百三十年間近江を治世した。 中でも十三代直弼公は幕末の激動期の大老として先見の明をもち開国の決断を断行したが、安政七年三月「桜田門外の変」により四十六の生涯を閉じた。公の波乱の人生は舟橋聖一作「花の生涯」で広く紹介され、その生き様は花の生涯そのものと再評価されました。激務の中で茶道、禅、和歌、国学、製陶に一時の安らいを求め、茶道の極意書「一會集」を著し、湖東焼を強く庇護された。湖東焼の名品の多くは井伊家東京屋敷にあったが、関東大震災で惜しくも全てが消失したが幾つかの佳品が伝世致しております。花からくさのホームページを通じ直弼公の自作の茶道具、書画と共に湖東焼の名品を広く展観し公の風雅と人を偲ぶものであります。                  
彦根城ほとり 骨董屋いわさき 主人 拝

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